今、息子たちは自分の足で玄関を出て帰ってくる
高2、中2、小5
あたりまえ
信号も渡れるし
一人でトイレもできる
でも子供が小さいころ
想像できないくらい
普通の生活に制限があり
危険の可能性があると感じた
階段も
台所も
5センチの段差も
子供を持つと
本当に世界がかわる
同じ場所なのに
見方が変わる
長男が幼稚園の時に
ママ達で集まっていろいろ企画することが多く
作ることが大好きな私は
喜んで参加した
が、
お手伝いできない。。。
やりたくてもやれない。。。
一緒に次男三男を連れて行かなければならないので
どうしても思うようにお手伝いができないのだ
変に無理して
目を離した隙に
わが子が大けがなんてことになったら
もっと迷惑がかかるわけで
せっかく幼稚園まで来たのに・・・
もどかしさでいっぱいになった。
震災の時もそうだった
8階に住む私たちは
エレベーターが止まってしまって
簡単に一階まで降りられず
部屋中ガラスの破片でいっぱいだったので
掃除をしたいが
6歳3歳の長男次男を家にじっとさせておくのは難しく
とりあえず7カ月の三男をずっとおんぶした状態で
掃除機が使えない状況の中
手持ちのクイックルワイパーで
危険な物を片づけていた
マンションのお友達が
そんな私を気遣ってくれて
長男次男を夕方まで預かってくれた
外で遊ばせてくれたりもした
本当にありがたかった
あるお友達は
バケツに2杯
お水を汲んで8階まで階段で届けてくれた
嬉しかった
ある友達は
子供達に、と
お菓子を届けてくれた
こども三人いながら
一人で片づけもご飯も大変だろうと
温かい食事を
やっぱり8階まで階段で届けに来てくれた友達も
ありがたさと
申し訳なさで
いっぱいになった
私は何も返せない
返したくても返せない
動きたくても動けない
感謝とやりきれなさで
涙がでた
そんなもどかしさは
子育てしている時は
いつもあった
たぶん
これは
私の歴史年表の中で【弱者の時代】
今まで自由にやりたいことが出来て
動きたいように動けたころの私だったら
気づけなかった事を
たくさん刻み込むべきなんだ
何不自由なく
病気や怪我をほとんどしたことがない私が
今、このもどかしさを
感じなければいけないのかも・・・
階段しかない場所が優しくないとか
ちょっとした段差も怪我の元とか
子供を産まなければ絶対に見えなかったし
バリアフリーという感覚も
言葉で分かったとしても
その立場の方々を
本当には理解できなかったはず
「いつか三男も大きくなる
一人で歩いて玄関を出かける歳になる
そして 私が動けるようになったら
たくさん返していけばいい!」
そう 考え方を変えた
それから私は心置きなくみなさんの手助けをうけ
心から感謝を伝えた
それから3年後
三男が幼稚園に入り
ママ達同士の活動で
私はたくさんお手伝することができるようになった
そんな席にやっぱり
下の子を連れて
あやしながら「手伝えなくてごめんなさい💦」というママがいた
「子供を育てるママはみんな
必ず【弱者の時代】があるんだよ。
でも 必ず返せるときが来るから
今は甘えていいんだよ。
私だってようやくお返しできるようになったんだから」
たぶんこれから 次の【弱者の時代】も来るはず
その時、心置きなく甘えられるように
今できることを
たくさんしたいと思う
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